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免許取消軽減ブログ

2020.04.14更新

愛猫とのお別れ・・・

去る4月11日、
我が家の猫『ナノ』が享年16歳で息を引き取りました。

前回の健康診断では少し痩せているものの平均値の小柄な枠内くらいで特に問題は無かったのですが、腎不全がかなり進行していたのと、肺に水も溜まっているような状態でした。

ストレスの少ない環境を心がけ、御飯もトイレ砂もベッドも爪とぎもキャットタワーもその時手に入る最高のものを、そういえば子猫の時には単価3倍くらいのゴールデンキャットミルクを使ってました。

・・・バカ親の親バカで馬鹿親馬鹿ですね(笑)

思い返せば17年前のある雨の日、家のベランダで野良猫が出産していました。
結構な雨だったのでバイクのカバーをテントのようにして雨を防ぐようにしていましたが、翌朝にはいなくなってたので多少心配しながらも元気に育ってくれればいいなと思っていました。

しかし翌日、まだ現役選手だった僕はたまたまその日怪我をして練習に行かないで、奥さんとどこかに行って一緒に家に帰ったんですが、そこで奥さんが隣のアパートのゴミ捨て場に置かれたペンキ箱の中から猫の鳴き声を聞き取り調べてみると、中には昨日の子猫が全員揃っていました。

たぶん誰かがその箱に入れたんだと思います。
親猫は臭いが判らなくなったせいなのか、
近くを通っても気にも留めません。

3匹いるうちの一番大きい子猫は必死で泣き続けています。
小さい2匹は泣き声をあげる力も無いように見えました。
片方はもぞもぞ動くだけ、一番小さい子はほとんど動かず今にも死んでしまうんじゃないかと思えるほどでした。

折りしも4月、
まだまだ寒いです。
今にも消え入りそうな命を触ったとき、
黙って見過ごすことは出来ませんでした。

とりあえず家へ持って帰り
「牛乳でいいのかな?」と思ったものの
我が家にあるのは無脂肪乳・・・
そもそも牛乳ですらありません

急いで子猫用のミルクを買いに行き、
恐る恐るの初授乳・・・

夜も遅かったので動物病院には翌日行くことに、
ネットの情報を頼りに暖かくしたりミルク飲ませた後、オシッコさせたりゲップさせたり・・・当然翌日の仕事はお休みです(笑

当初は自分でやってるバイクのHPで里親を探すつもりでしたが結局自分で面倒見ることにしました。

それから17年、真ん中の茶色い子は小さいという意味の単位『ナノ』と名付けられ、上の黒い子『ミリ』と、白い末っ子『ピコ』と共に、特に体調を崩すことも無くすくすく育ってくれていました。

こういう時、自分に何か落ち度があったのかな?
と考えてしまいます。

もっと健康診断のサイクルを短くしていたら・・・とか、

でも採血とかのストレスも大きいだろうし、どうすれば良かったのかという答えは出せません。

ナノは凄く頭のいい子でした。
名前を呼ぶと返事をする・・・だけならできる猫はたくさんいると思いますが、他の子の名前を読んだ時に返事をしないのはナノだけでした。

そして頭をなでている時にも、言葉を文字として捉えているのかどうかは分かりませんが、意味ではなく意図を汲み取り「可愛いね、ナノは良い子だね」と声をかけるとゴロゴロが大きくなっていました。

そんなナノは気持ちが分かるだけに突出した甘えん坊で、奥さんが部屋にいないとずっと鳴いていました、台所に入れば付いていき、トイレに行けばドアの前で待っていました。

いつしか、ナノは僕ら夫婦の気持ちまで察してくれるようになりました。
多少夫婦間で諍いがあれば、必ず奥さんに寄り添ってくれました。
奥さんが体調不良の時はいつも以上にそばから離れませんでした。
奥さんが映画やゲームで感動して涙ぐんでいると、すぐに慰めに来てくれました。

気持ちが落ち込んでも「んにゃー♪」と一声鳴くだけで家の中を明るく笑顔にしてくれる。
生まれてこの方ほとんど手のかからなかった、出来過ぎた猫でした。

だから、1月ほど前くらいに急に痩せ初めた時も、正直なところ最初は御飯が気に入らないから食が細くなってるのかと・・・僕は思いたがっていました。

元々食の細い子でしたが、比較的好きなおやつを出してもあまり反応せず、歩き方も力がなくなっているように感じられ、病院に行った時には重度の腎不全という診断を受けました。

入院や点滴をするも食欲は戻らず、脱水に対処するための点滴とはいえ、今度は肺に水が溜まっていき状況次第ではその水を抜く処置も必要になってくるとのこと、ほんの1カ月前まで元気に飛び回っていたのに、日を追うごとに体は軽くなり、御飯もおやつも食べてくれなくなりました。

食べられない栄養は別の方法で入れるしかなく、
点滴だったり注射だったりの治療が始まりますが、病院に行く時はかなり嫌がります。
家の中ではほとんど動いていないのに、病院に行くと多少動いています。
でも嫌だから必死に逃げようとしてるだけなんじゃないかと苦しくなります。

そして注射も点滴も・・・仮に僕とナノの体格差を10倍だと仮定すれば、ナノに刺さってる注射針の10倍太い針を、10倍深くまで差し込むとしたら、どれだけ痛いだろう?
人間の1年が猫の4年に相当するなら1時間の点滴は人間なら4時間刺しっぱなしってこと?

また、基本的には口から食べた方が良いので食欲を増進させる薬というのもあるんですが、自分として考えれば本当は食べたくないのに無理やり食べさせられるような状況ではないのか?とも考えてしまいます。

そうなると安楽死という言葉も浮かびますが、安とか楽っていうのは人間の気持ちがって意味なんじゃないのか?とも思えますし、でも痛い苦しい思いをしてナノは生きたいのか?と・・・

それでも家に帰った時に周りを見渡し、名前を呼んで撫でるとこちらをじっと見つめて、肺疾患の影響か変わってしまった声で僕らに語り掛けてくるナノには、やっぱり生きていて欲しいと願ってしまいます。

元気がなくなってきている姿に僕ら夫婦も元気がなくなってしまいますが、ナノの声で笑顔になり元気になる、ナノが僕らにくれる幸せは昔から変わってませんでした。

たとえそれが命を削って出している声だとしても・・・

ナノはもっと生きていたいかな?
ナノは幸せだったかな?
薬は不味くないかな?
苦しくないかな?
痛くないかな?
恐くないかな?

本格的に体調が悪くなってから数日でナノの意識は混濁するようになっていました。
撫でてもあまり反応はありません。

でも時々意識が戻ったのか、家の中をウロウロします。
ちなみにまだこの段階でもトイレは自分で行ってくれます。

少し歩いてはうずくまりますが、うつろな目で部屋を見渡す様子はまるで今まで生きていた場所を覚えておこうとしているように見えました。

この頃になると自力で御飯を食べることは全くできず、奥さんが小さい注射器みたいなので流動食や水を口に入れる程度しかできなくなっていました。

そして意識の無い時間の比率が大きくなってきた時、病院からも「今日か明日か・・・最後は一緒にいてあげてください。」ということだったので治療は中止し、最期まで一緒にいようと決めました。

いくつか聞いたことは
意識が混濁している時は苦しいとかはあまり感じていない、最期の時は苦しそうに呼吸しているように見えるかもしれないが、それは苦しんでいるわけではないということ、もちろん猫自身に聞いたわけではないので真相は分かりません。
でもそれが避けられない反応なら、せめて気持ちが安らぐように一緒にいようと思いました。

家に帰ると、お気に入りの猫ベッドにナノを寝かせ、体をさすり、頭を撫で、「可愛いね、良い子だね」とナノの好きだった言葉をかけ続けます。

ほとんど反応はありませんが、時々意識が戻るのか奥さんの方をじっと見つめ、僕の方も少し見て、何かを話しかけてくれます。

痙攣?っぽいのも一度ありましたが、その時も目線は奥さんを見つめたままでした。

僕は頭を撫でたり、横っ腹を撫でたり、奥さんも頭を撫でたり、そしてナノが好きだった手の肉球の隙間に指を当てるというのをやっていました。
これをするとナノはぎゅっと握り返してくるんですが、それが可愛くて僕は大好きでした。
ちなみに僕にはあんまりやってくれませんでした(笑)

数分間意識が戻って、また反応がなくなって。

そんなことを何回か繰り返した後、少し苦しそうな呼吸と一緒に今までより強く奥さんの指を握りしめ、僕と奥さんの顔を見て、疲れて休むような雰囲気で体を横たえ、数回の小さな呼吸と鼓動のあと、小さく軽くなった体から完全に力が抜けてしまいました。

その時ナノにかけた言葉は何だったのか、
一つ一つまではよく覚えてません。

治療とはいえ苦しい思いをさせたことの謝罪かもしれません、
頑張ったことを褒めたのかもしれません。
最期まで手のかからない子だったことを褒めたのかもしれません。

でも沢山かけた言葉は
可愛いね、
良い子だね
17年間幸せだったよ
ありがとう

だと思います。

動かなくなったナノにも何度も声をかけて、体を撫でました。
「ナノは幸せだったかな?」

その答えはもう聞けませんが、僕ら夫婦はナノのおかげで幸せでした。
朦朧とした意識の中でも声や尻尾で返事をしてくれました。
鼓動が止まる最期の瞬間まで、奥さんの指を握りしめていてくれました。
この世で最期に見る相手に奥さんと僕を選んでくれました。
そういえば生後2日目から飼い始めたので、初めて見た相手は奥さんだったかもしれません。

亡くなった翌日火葬を済ませ帰宅するとなんだか不思議な感覚で、お寺に連れていく時、段ボールの中で休んでいてもらう時にもなんだかひょっこり起きてきそうで、これから火葬するという時でも本当に寝ているようでした。
この一連の流れでもナノは本当によくできた子で、命日が4月11日でしたが、前日は中部地方に出張で帰宅は深夜でした。
13日からはまた出張で早朝に出発⇒深夜に帰宅ということになりますので、看取ってお葬式まで一緒にいられるのはここ数年で考えてもこのスケジュールしかありませんでした。


いろいろ分かってたのかな?
実は僕の仕事のスケジュールまで把握してくれてたのかな?

まだしばらくはいつもの猫ベッドを見ていなくなったことを実感するのかもしれませんが、ナノはもう苦しい思いをすることも無く、お気に入りの出窓で日向ぼっこをしながら、僕らがそっちに行くのを待っていてくれるのだと思います。

姿かたちは変わってもこれからもずっと一緒に、僕らがそっちに行くまで少し寂しい思いをさせるかもだから待たせることを先に謝っておくことにします。

大好きなナノ

17年間の幸せをありがとう。

僕はこれからもずっと、
愛猫ナノを自慢し続けるんだろうと思います。

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投稿者: 内村特殊法務事務所

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