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免許取消軽減ブログ

2020.05.07更新

愛猫との別れ、再び

令和2年5月4日
愛猫ピコが17年の生涯を閉じました。
先月お姉さんのナノも亡くなりましたが、後を追うような感じでした。

ピコの体調不良が見つかったのもナノと同じ健康診断の時で、その時は『肝臓付近に腫瘍ができているかもしれない』という感じで精密検査に移行する段階でした。

実はこの2年くらい前からピコはダイエットをしていて、ややスマートになってきて運動能力も飛躍的に回復しており、僕としてはダイエットが成功していたのかと、これでもっと長生きできるかな?と少しづつ痩せていることを嬉しく思っていました。

しかし検査結果は悪性の腫瘍、人間でいえば肝臓がんで肺にもごく僅かながら転移の疑いもある状態で、さらに悪いことに腫瘍の出来ている位置が心臓につながる太い血管にかかっていて手術で完全に除去することはほぼ不可能という診断でした。

また抗がん剤治療についても猫に関しては効果が出る望みは薄く、むしろ体の負担が大きいだけになる可能性もあるということ・・・「なんで?あんなに健康になってたのに、今まで病気一つしたことも無かったのに。」まだその時点では無邪気に僕らの顔を見上げるピコを見て、ただ打ちひしがれていました。

検査結果から1週間程度でピコの食欲は目に見えて落ちていきましたが、まだ固形物を食べることも水を飲むこともできました。
でもその時期はナノがもう危ない時期で、もしかしたらナノの世話で大変な奥様の為に無理して強がってくれていたのかもしれません。

それを実感するのはナノを看取ってすぐでした。

一度落ちた食欲は加速度的に落ちていき、流動食などムース状の食べ物や、ちゅーるのハイカロリー版など、食べやすいサプリ系の物しか受け付けません。
免疫力を上げると謳っている猫用サプリなんかもあげてみましたが、味が気に入らないのか尚一層食べません。

現実論としてその状態のピコの命は栄養素云々よりも量の絶対値で繋ぐほか無く、少しでも気に入るもの、好きなものを少しづつでも食べさせていました。

幸いなことに痛がる様子もなく、肺に転移しているといってもそちらはまだ呼吸器系に影響が出るほどの物でもなく、あくまで見た目の印象ですが、ただ痩せていくだけ・・・だからこそ確実にその日が近づいていることを僕らは実感せざるを得ませんでした。

ピコは3兄妹の末っ子で、最初に拾った時にはほとんど動かず、体重も80gしかありませんでした。

ちなみに生後すぐの子猫の体重は約100gといわれているので生後2日目で本来もう少し成長していなければならないところで80gということはかなり危険な状態といえます。
ただ生来のおおらかな性格なのか見た目にもあまりストレスを感じる様子も無く順調に成長し、名前の由来の通り最初が最も小さかったせいかついつい甘やかしてしまい・・・気が付けば立派なぽっちゃりさんになっていました(笑)



まぁ体は太めですが健康診断で異常値が出たことは一度もなく、むしろ一番健康的に見えました。

人間が大好きで、

自分から人に触るのが好きで、

日向ぼっこが好きで、

自分の事を見つめてくれないと不満になり、

3匹の中で一番柔らかい体と毛質はただ触っているだけで癒されました。

また自分が可愛いことを分かっていたのか、
写真を撮る時も物怖じせず自分から良い表情を見せてくれて、動物病院でも看護師さんが声を揃えて「可愛い・・・」と目を丸くするくらいの、僕にとっても自慢の娘でした。

いつもすぐそばに寄ってきて、お風呂上りにストレッチをしているとすぐ脇で寝転がって、


僕の髪を毛繕いしてくれて、ちゃんと目線を合わせて「ありがとうね、ピコは可愛いね。」といえばますます額をスリスリしてきて、漫画を読みながら片手間で撫でたりしていると少し爪を出して目線を誘ったり不満な鳴き声を出したり・・・じっと見上げることにくたびれればウトウトし始めて・・・ただ可愛いだけではなく本当に表情が豊かで、それなのに粗相をしたこともなく、壁で爪とぎをするようなことも無く、人を噛んだり引っかいたりすることも一度たりとも無い、ナノもそうでしたが本当に手のかからない良い子でした。

でもいつのころからか、長男のミリがピコに対して喧嘩を仕掛けないようになっていました。
年齢を重ねて落ち着いたのかもしれませんが、僕たちよりもずっと早く何かを察していたのかもしれません。

一日をほとんど寝て過ごしているのも高齢の猫ならそれが普通だと思っていましたし、一番好きな時間である僕のお風呂上がりのストレッチの際、ストレッチマットを出す時にはいつもの場所に先に陣取り、今か今かとウズウズした表情も見せてくれていました。

毎日、毎日、お風呂上りに僕のところに突っ込んで来るのはやがて僕の一日の締め括りになり、泊りの出張明けなどはいつに増して激しいスリスリ&ゴロゴロがずっと続いていました。

その時の僕はとても幸せだったので、いつもピコに訪ねていました「ピコは幸せかい?」と・・・
ある程度言葉を判別できるピコは「可愛いね、良い子だね。」という言葉を喜び、明らかに通常よりも大きく喉を鳴らします。
でも幸せかどうかを尋ねると、喉の鳴りはすこし音が下がり、少しキョトンとした顔で僕を見上げます。

それはただ好きなことをいつも通りにしているだけなのに「なぜそんなことを聞くの?・・・いいからもっと撫でてよ。」と言ってるようにも見え、やっぱり僕はピコの頭やお腹といった優しいフワフワを撫でまわすのです。

いつも通りの事がこれからもいつも通り続いていく、何の根拠も保証もないはずなのに、極端なことを言えばピコの命が僕より短いことは分かっていたはずなのに、フワフワの時間はこれからもずっと続いていく
と・・・そう思わせてくれたこともピコが僕にくれた沢山の幸せの一つでした。

固形物は全く食べられなくなり、水もほとんど飲まないピコの体はどんどん痩せ細っていきました。
食欲を増進させる薬などもありましたが、食べるという行為自体が苦しいのならそれはよりピコを苦しめることにならないかと、その頃にはもうピコは点滴にも耐えられるような状況ではなくなっていたので、その時の僕ら夫婦の気持ちは『とにかく苦しい思いだけはさせたくない』ということで一致していました。

時々水を飲もうとして水飲み場に行く以外起き上がることさえないのに、いつものストレッチマットには出す前から待っている・・・そんな僕とピコの時間は亡くなる前日まで続きました。

ナノとピコは最後の時間の過ごし方もかなり違っていて、ナノはしきりに部屋の中を歩き回ってはじっと見つめ、また歩いては違うところをじっと見つめていましたが、それはまるで自分が過ごした場所を忘れたくないように見えました。

しかしピコの場合はほとんど動かず、一番好きなところにだけ全力を振り絞って自力で歩いていきました。
猫は人目につかないところで死ぬっていわれますが、あれは今まで自分の思い出の場所を探し回って自分に大切な所から順番に見ていて比較的どうでもいいところ(人があまり気にしていないところ)あるいは普段落ち着いていた場所を最後に探してそこで結局死んでしまうんじゃないだろうか・・・

そして最後の日、いつもの様にお風呂上りにストレッチマットを出してもピコは歩いてきません。

その時期になると僕も奥さんもある程度の覚悟はしていましたし、ナノの経験もあるので準備自体はスムーズだった・・・ような気がします。

お気に入りのベッドのままでペットシーツを下に敷いて、大好きだったストレッチマットの上にピコを移動させました。

ピコの意識はかなり混濁しているようですが時々意識が戻り、ナノの時と同様に僕と奥さんをじっと見つめます。

僕と奥さんはピコの好きな言葉をかけ続け、意識の有る無しに関わらず、ピコと出会った時の事、今までの事、嬉しかったこと、楽しかったこと、そしてピコのおかげで幸せだったことを話しかけました。
困ったことや辛かったこと、大変だったことは・・・ありませんでした。

意識がなくなり、そして戻ってを繰り返し、少しづつその間隔が開いていき、何度か呼吸も止まるんですが、1分くらいで戻ってくるピコはまるで自分が死ぬことを否定するような、
意識はもう完全に無いはずなのに生きようとしているような力強さを感じました。

呼吸が止まるというのはきっとすごく苦しいはずです、しかし意識が無いなら苦しいという事も感じないはずで、今際の際に意識が無くなるのは最後の瞬間を苦しさで終わらないような体のシステムなのかもしれない・・・だったらなおさら無意識でも生きようとしているピコの体を擦ってあげるしかできない苦しさはありましたが、たとえ意識が無くてもその目に入る光景は大好きな相手であるべきと、僕も奥さんもピコの目線の正面にいるようにしていました。

その時のピコの目は、
おそらく眼球が乾いてしまっているからなのだと思いますが
普段見た事が無いほど涙が流れていて、まだ生きたいと強く願っているような、僕らとの別れを悲しんでいるようでした。

・・

・・・

まだ何度か意識の境を繰り返したあと、
もうピコの呼吸が戻ることはなく、最期は穏やかな表情で17年の生涯を閉じました。

力が抜けてしまった体をもう一度抱っこして、膝に乗せて頭を撫でました。
ピコは少し強めに頭や顔を撫でられるのが大好きだったので、その時を思い出すように撫で回しました。

ピコはいつもフワフワで、柔らかいお餅みたいに脱力していて・・・なんて柔らかい猫だろうといつも笑っていたのですが、この日の柔らかさはただ力が抜けているだけの、もうこの体に命が無いことを感じてただ涙だけが止まらず、ずっと撫で続けていました・・・

うちの猫は本当によくできた猫だと思うのが、ピコの命日は5月4日未明でした。
5月の連休中は毎年面談相談などは少なく、祝日ですので聴聞会や意見の聴取といった出張も無く、それ以外の業務での出張も比較的少ないのと、ちょうどコロナの影響で外出自粛の時期でもあって家にいる時間も長く、最期を看取ることもできましたし翌日の葬儀もスムーズにできました。

ピコの体に保冷剤を置き、葬儀の準備を進めていく時、この子たちを育てようと思った時に奥さんから言われた「この子たちは私たちより長くは生きられないけど、最後はお別れするのはきっと悲しいけど、猫の寿命が人間よりも短いのは悲しいとか寂しいとかっていう気持ちは人間の方が味わうだけで済むようにするためだよ(笑)」という言葉を思い出しました。

ピコは幸せだったかな?
ピコ自身の答えはもう聞けませんが、きっと幸せだったと思います。
きっと世界で一番幸せな猫だったと思います。

そして僕も同じくらい幸せにしてもらっていたと思います。

火葬に行く途中でも何度も箱を開けて撫でました。
もしかしたらうっかり目を覚ますんじゃないか?そう思えるくらいピコの表情は安らかで・・・いつも通りだったから。

でも固くなった体を撫でる度に柔らかくて暖かいフワフワはもういない、視線を外すと不満を漏らす姫はもういない、いつも通りの幸せがなくなってしまったことを実感します。

ただ、つくづく色々分かってる、本当に手のかからない子たちでした。


ナノの時は亡くなってから葬儀まで半日も無かったので慌ただしかったのですが、ピコに関しては1日あったので祭壇に飾る写真を用意しました。


そして遺骨は出窓のナノの隣に並べ、包んでいる布も二匹のイメージカラーに変更し、その前には仲良く写ってる写真を飾りました・・・ピコとナノはよく一緒にいたので、もしかしたらナノが寂しいと思ってこの時期を選んでくれたのかもしれません。

大切なピコ、そしてナノ、17年間、おうちの中を照らしてくれてありがとう。


まだ今は思い出すことで悲しくなりますが、いつか思い出すことで楽しくなれた時、ナノとピコに「もう大丈夫だよ。」と言えるような気がします。

そのためにも、僕は最高の猫たちを今後も自慢し続けるのです。

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投稿者: 内村特殊法務事務所

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