先日関西地方への出張は車で行ったんですが、
その理由は奈良県川上村に寄るためでした。
以下は以前のブログの再掲です。
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2013年07月30日 | 雑談
出張レポート番外編です。
僕は二日間の出張の中
遠回りすることになっても寄りたいところがありました。
奈良県吉野郡川上村です。
僕のママの故郷です。
実は小学校低学年の頃に一度行ったことがあります。
ママの兄妹に僕を会わせるという名目で行った・・・ような気がします。
家の裏は崖になってて、階段で河原まで降りて泳いだりした記憶があります。
何がどうってわけではなく、
大好きだったママとの思い出を辿ってみたくなったというか
欠けたものを探したい気持ちだったんですよ。
辿るべき記憶は
約30年前のもの、
1:地名は川上村(これはネットで調べればすぐに出た)
2:おっちゃんの家が建具屋だったことは、当時の家の中の記憶から分かった。
3:家の裏は崖、目の前は山肌、落石防止ネットがあった。
4:裏の川は吉野川。
5:家から見て川の流れる方向は覚えている。
6:ダム放流時には警報が鳴るということは聞いていたのでダムより下流
7:『井戸』というバス停だか地名だかの記憶がある
8:『迫』という字も見たような気がする。
9:近くに公民館があった。
主だった記憶はこんな感じ、
それほど大きい村ではないのと、目の前の道にバス停があったことは覚えているので
主要道路をぐるっと回れば見つかるだろうという程度の認識でした。
そもそも寄り道なので
探索に当てられる時間は約1時間半、
早速車でぐるっと回ってみます。
予想通りというか、
周りは緑しかありません
死体を放置してもまず見つからないだろうなというレベルの雑木林です。
ところで余談なんですが
川上村の手前には石材店がいくつかあるんですが、
ほとんどのお店にマーライオンが鎮座してるんですよ。
巨大なのから小さいのから、ちょっと目が変なのから・・・
なんか不思議な感じでした。
話は戻って
おぼろげな記憶を頼りに探すものの
一向にそれらしき家は見つかりません。
ちなみに『井戸』という地名はナビに打ち込むとちゃんと案内してくれたのですが、
特に他と景色が変わるわけでもなく、
まぁあるという記憶自体は間違いではなかったんですが
決め手にはなりませんでした。
山をどんどん上がっていくと、とうとうダムまで到着してしまいました。
来すぎです・・・
仕方がないのでまた下山しますが
車がスムーズに通れるような道は一本しかなく、
周囲の景色も変わり映えしません。
そんな折
タクシーを発見しました。
地元のドライバーなら個人宅レベルで知ってるかもしれないと思い、聞いてみました。
「この辺に○○建具さんってありませんでしたっけ?」
知ってました。
しかしそこで聞いたのは
・旦那さんは数年前に亡くなって今は建具屋さんはやっていないということ、
・その周辺は僕の記憶とはかなり様相が変わってしまっていること
目印になる『源流館』という施設の場所を聞きそこへ向かいます。
10分ほど走り源流館に到着しました。
しかし源流館の前には数件の家があるだけ、後ろも川ではなく大きなダムです。
どういうことかなと思い
源流館の中にいた人に話を聞いてみました。
まず○○建具さんの場所を聞くと
「そこですよ、でもご主人が亡くなられてからは奥様一人で暮らしてはるみたいですね・・・」
僕は「そうですか」としか答えられませんでした。
次にその人から出た質問は
「やんちゃして飛び出したお子さんとか(笑)?」
「・・・なんか旦那さんと雰囲気似てはるから」
僕「(笑)まぁ、そんな感じです」
職員さんなのか地元の人なのかは分かりませんが
いろいろ話してくれました。
今目の前にあるダムは新しく作られたダム(計画自体はずっと昔から継続していた)で建具屋さんも含めて本当はもっと山の低いところにあった。
でもダム開発のためにみんな立ち退きで、高いところに引っ越すようになった。
当時の川はもう完全にダムの底、
もっと上流にももう一つ貯水池があって、
僕が警報を聞いたり注意書きの看板を見ていたのはその貯水池の水位調整のための放水のこと。
ダム用地として国に買い上げられたものの
引越しの費用には足りない家も多かった。
反対運動をしていたけどダメだった。
ダムはできたけど
もともと地盤も弱い所なので地滑りなども結構頻繁だった。
ひとしきり話した後
崖下のダム湖を見ました。
造形美ではあっても
そこに美しさを感じないのは
望まれていない寂寥感みたいのがあるからなのかもしれません。
建具屋ものぞいてみました。
おばちゃんは住んでいるはずですが、外出しているのか見当たりませんでした。
とりあえず
名刺の裏にいろいろ書き込んで玄関に置いておきました。
なんで来たがってたのかは
正直なところよくわかりません。
ママのことに触れたかったのかもしれません。
僕自身が多少なりとも大物になっているところを見せ付けることで、
家族からあんまり大切にされていなかった(ように感じる)ママの名誉を取り戻したかったのかもしれません。
うろ覚えの記憶をつなげて
アハ体験がしたかったのかもしれません。
ただ、本当の理由はきっと
『なんとなく』です。
ママの記憶を強める何かが欲しかったんだと思います。
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あれから8年、また来た理由はママの形見の着物をちょっと派手なカーディガンにリメイクしたんですが、それを親戚のおばちゃんに見せに行きました。
いや、見せに行くっていうのは少し違うかもしれなくて、新しい命になった着物にもママの魂は残ってるんじゃないかと里帰りさせてみたかった・・・・のかな?
まぁこの着物自体が物置から出てきた時点で僕が開けるまで未開封だったので川上村の空気に触れてなかったから・・・
後付けの理由はいくつか思いつきますが、やっぱり本当の理由は『なんとなくママも来たかったんじゃないかと思ったから』です。
ママのお兄さんにあたるおっちゃんですが、
親戚の中では僕寄りでしたね(笑)
「感謝してるなら心霊写真くらい撮らせろよ(笑)」と悪態付いたり
僕のことを嫌ってた親戚はだいたい死んでるから気楽だったっていうのもありますが、僕寄りの親戚らと多少話せたのは良かったかなと思います。
ママの話も改めて色々聞けたし、
この着物もかなりの高級品だそうだけど、カレーうどんらしき染みもあったりして、なるほど細かいことは気にしない性格も伺えます。
かの名作『銀河英雄伝説』の名言集みたいなので必ず出てくる一節に
『人はなぜ、自分にとって最も必要なとき、それに相応しい年齢でいることができないのだろう。』
というのがあります。
今の僕の視点ではママはあんまり幸せではなかったような気がします。
もしも今健在なら
大抵のものは買ってあげられる
好きなところに連れて行ってあげられる
倒れたのがせめて15年遅かったらもっと良い治療を施せた。
どうにもならないことに思索を巡らせても何が変わるってことは無いけれど、たまには『なんとなく』思い出してあげるのも生きてる側の責任というか、僕の勝手な解釈ですが『魂』って誰かに覚えてもらってる記憶のことなんだろうと思ってます。
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