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免許取消軽減ブログ

2023.03.21更新

愛猫との別れ

令和5年3月12日
我が家のニャンコ達最後の一匹であるミリが永眠しました。
あと1カ月で20歳というのは猫としてはかなり長寿だったと思います。

小さい頃に一度猫カゼをひいたことはあったものの、それ以外は特に健康を害することもなく、トイレも一回で覚え、変なところで爪とぎをする事も無く噛まれたことも無ければ引っかかれたこともありません。

うちの子に共通してるんですが本当に手のかからない子だったと思います。

僕は何度か日記などに書いているんですが、このミリに関する思い出については他の2匹とも絡めて書きたいのと、他の二匹、ナノとピコの事も知ってほしいので凄まじい長文になるのは申し訳ありませんが以前の日記も転載します。

僕にとっての最後の愛猫日記になりますので思いが故の長さと御理解ください。
☆以前の日記も読んでいるとか、ミリのとこだけで良い方は画面をスクロールして
『―――――ミリの話――――』まで進めていただければと思います。

――――――――ナノの話―――――――――

令和2年4月11日、我が家の猫『ナノ』が享年16歳で息を引き取りました。
前回の健康診断では少し痩せているものの平均値の小柄な枠内くらいで特に問題は無かったのですが、腎不全がかなり進行していたのと、肺に水も溜まっているような状態でした。
ストレスの少ない環境を心がけ、御飯もトイレ砂もベッドも爪とぎもキャットタワーもその時手に入る最高のものを、そういえば子猫の時には単価3倍くらいのゴールデンキャットミルクを使ってましたね(笑)
思い返せば16年前のある雨の日、家のベランダで野良猫が出産していました。
結構な雨だったのでバイクのカバーをテントのようにして雨を防ぐようにしていましたが、翌朝にはいなくなってたので多少心配しながらも元気に育ってくれればいいなと思っていました。
しかし翌日、まだ現役選手だった僕はたまたまその日怪我をして練習に行かないで、奥さんとどこかに行って一緒に家に帰ったんですが、そこで奥さんが隣のアパートのゴミ捨て場に置かれたペンキ箱の中から猫の鳴き声を聞き取り調べてみると、中には昨日の子猫が全員揃っていました。
たぶん誰かがその箱に入れたんだと思います。
親猫は臭いが判らなくなったせいなのか、
近くを通っても気にも留めません。
3匹いるうちの一番大きい子猫は必死で泣き続けています。
小さい2匹は泣き声をあげる力も無いように見えました。
片方はもぞもぞ動くだけ、一番小さい子はほとんど動かず今にも死んでしまうんじゃないかと思えるほどでした。
折りしも4月、
まだまだ寒いです。
今にも消え入りそうな命を触ったとき、
黙って見過ごすことは出来ませんでした。
とりあえず家へ持って帰り
「牛乳でいいのかな?」と思ったものの
我が家にあるのは無脂肪乳・・・
そもそも牛乳ですらありません
急いで子猫用のミルクを買いに行き、
恐る恐るの初授乳・・・
夜も遅かったので動物病院には翌日行くことに、
ネットの情報を頼りに暖かくしたりミルク飲ませた後、オシッコさせたりゲップさせたり・・・当然翌日の仕事はお休みです(笑
当初は自分でやってるバイクのHPで里親を探すつもりでしたが結局自分で面倒見ることにしました。
それから16年、真ん中の子は小さいという意味の単位『ナノ』と名付けられ、上の子『ミリ』と、末っ子『ピコ』と、特に体調を崩すことも無く育ってくれていました。
こういう時、自分に何か落ち度があったのかな?
と考えてしまいます。
もっと健康診断のサイクルを短くしていたら・・・とか、
でも採血とかのストレスも大きいだろうし、どうすれば良かったのかという答えは出せません。
ナノは凄く頭のいい子でした。
名前を呼ぶと返事をする・・・だけならできる猫はたくさんいると思いますが、他の子の名前を読んだ時に返事をしないのはナノだけでした。
そして頭をなでている時にも、言葉を文字として捉えているのかどうかは分かりませんが、意味ではなく意図を汲み取り「可愛いね、ナノは良い子だね」と声をかけるとゴロゴロが大きくなっていました。
そんなナノは気持ちが分かるだけに突出した甘えん坊で、奥さんが部屋にいないとずっと鳴いていました、台所に入れば付いていき、トイレに行けばドアの前で待っていました。
いつしか、ナノは僕ら夫婦の気持ちまで察してくれるようになりました。
多少夫婦間で諍いがあれば、必ず奥さんに寄り添ってくれました。
奥さんが体調不良の時はいつも以上にそばから離れませんでした。
奥さんが映画やゲームで感動して涙ぐんでいると、すぐに慰めに来てくれました。
気持ちが落ち込んでも「んにゃー♪」と一声鳴くだけで家の中を明るく笑顔にしてくれる。
生まれてこの方ほとんど手のかからなかった、出来過ぎた猫でした。
だから、1月ほど前くらいに急に痩せ初めた時も、正直なところ最初は御飯が気に入らないから食が細くなってるのかと、僕は思いたがっていました。
元々食の細い子でしたが、
比較的好きなおやつを出してもあまり反応せず、歩き方も力がなくなっているように感じられ、病院に行った時には重度の腎不全という診断を受けました。
入院や点滴をするも食欲は戻らず、脱水に対処するための点滴とはいえ、今度は肺に水が溜まっていき状況次第ではその水を抜く処置も必要になってくるとのこと、ほんの1カ月前まで元気に飛び回っていたのに、日を追うごとに体は軽くなり、御飯もおやつも食べてくれなくなりました。
食べられない栄養は別の方法で入れるしかなく、点滴だったり注射だったりの治療が始まりますが、病院に行く時はかなり嫌がります。
家の中ではほとんど動いていないのに、病院に行くと多少動いています。
でも嫌だから必死に逃げようとしてるだけなんじゃないかと苦しくなります。
そして注射も点滴も・・・仮に僕とナノの体格差を10倍だと仮定すれば、ナノに刺さってる注射針の10倍太い針を、10倍深くまで差し込むとしたら、どれだけ痛いだろう?
人間の1年が猫の4年に相当するなら1時間の点滴は人間なら4時間刺しっぱなしってことか?
また、基本的には口から食べた方が良いので食欲を増進させる薬というのもあるんですが、自分として考えれば本当は食べたくないのに無理やり食べさせられるような状況ではないのか?とも考えてしまいます。
そうなると安楽死という言葉も浮かびますが、案とか楽っていうのは人間の気持ちがって意味なんじゃないのか?とも思えますし、でも痛い苦しい思いをしてナノは生きたいのか?と・・・
それでも家に帰った時に周りを見渡し、名前を読んで撫でるとこちらをじっと見つめて、肺疾患の影響か変わってしまった声で僕らに語り掛けてくるナノには、やっぱり生きていて欲しいと願ってしまいます。
元気がなくなってきている姿に僕ら夫婦も元気がなくなってしまいますが、ナノの声で笑顔になり元気になる、ナノが僕らにくれる幸せは昔から変わってませんでした。
たとえそれが命を削って出している声だとしても・・・
ナノはもっと生きていたいかな?
ナノは幸せだったかな?
薬は不味くないかな?
苦しくないかな?
痛くないかな?
恐くないかな?
本格的に体調が悪くなってから数日でナノの意識は混濁するようになっていました。
撫でてもあまり反応はありません。
でも時々意識が戻ったのか、家の中をウロウロします。
ちなみにまだこの段階でもトイレは自分で行ってくれます。
少し歩いてはうずくまりますが、うつろな目で部屋を見渡す様子はまるで今まで生きていた場所を覚えておこうとしているように見えました。
この頃になると自力で御飯を食べることは全くできず、奥さんが小さい注射器みたいなので流動食や水を口に入れる程度しかできなくなっていました。
そして意識の無い時間の比率が大きくなってきた時、病院からも「今日か明日か・・・最後は一緒にいてあげてください。」ということだったので治療は中止し、最期まで一緒にいようと決めました。
いくつか聞いたことは
意識が混濁している時は苦しいとかはあまり感じていない、最期の時は苦しそうに呼吸しているように見えるかもしれないが、それは苦しんでいるわけではないということ、もちろん猫自身に聞いたわけではないので真相は分かりません。
でもそれが避けられない反応なら、せめて気持ちが安らぐように一緒にいようと思いました。
家に帰ると、お気に入りの猫ベッドにナノを寝かせ、体をさすり、頭を撫で、「可愛いね、良い子だね」とナノの好きだった言葉をかけ続けます。
ほとんど反応はありませんが、時々意識が戻るのか奥さんの方をじっと見つめ、僕の方も少し見て、何かを話しかけてくれます。
痙攣?っぽいのも一度ありましたが、その時も目線は奥さんを見つめたままでした。
僕は頭を撫でたり、横っ腹を撫でたり、奥さんも頭を撫でたり、そしてナノが好きだった手の肉球の隙間に指を当てるというのをやっていました。
これをするとナノはぎゅっと握り返してくるんですが、それが可愛くて僕は大好きでした。
ちなみに僕にはあんまりやってくれませんでした(笑)
何度か意識が戻って、また反応がなくなって。
そんなことを何回か繰り返した後、少し苦しそうな呼吸と一緒に今までより強く奥さんの指を握りしめ、僕と奥さんの顔を見て、疲れて休むような雰囲気で体を横たえ、数回の小さな呼吸と鼓動のあと、小さく軽くなった体から完全に力が抜けてしまいました。
その時ナノにかけた言葉は何だったのか、
一つ一つまではよく覚えてません。
治療とはいえ苦しい思いをさせたことの謝罪かもしれません、
頑張ったことを褒めたのかもしれません。
最期まで手のかからない子だったことを褒めたのかもしれません。
でも沢山かけた言葉は
可愛いね、
良い子だね
16年間幸せだったよ
ありがとう
だと思います。
動かなくなったナノにも何度も声をかけて、体を撫でました。
「ナノは幸せだったかな?」
その答えはもう聞けませんが、僕ら夫婦はナノのおかげで幸せでした。
朦朧とした意識の中でも声や尻尾で返事をしてくれました。
鼓動が止まる最期の瞬間まで、奥さんの指を握りしめていてくれました。
この世で最期に見る相手に奥さんと僕を選んでくれました。
そういえば生後2日目から飼い始めたので、初めて見た相手は奥さんだったかもしれません。
なくなった翌日火葬を済ませ帰宅すると、なんだか不思議な感覚で、段ボールの中で休んでいてもらう時にもなんだかひょっこり起きてきそうで、これから火葬するという時でも本当に寝ているようでした。
この一連の流れでもナノは本当によくできた子で、命日が4月11日でしたが、前日は中部地方に出張で帰宅は深夜でした。
13日からはまた出張で早朝に出発⇒深夜に帰宅ということになりますので、看取ってお葬式まで一緒にいられるのは今年の今までと考えてもこのスケジュールしかありませんでした。
いろいろ分かってたのかな?
実は僕の仕事のスケジュールまで把握してくれてたのかな?
まだしばらくはいつもの猫ベッドを見ていなくなったことを実感するのかもしれませんが、ナノはもう苦しい思いをすることも無く、お気に入りの出窓で日向ぼっこをしながら、僕らがそっちに行くのを待っていてくれるのだと思います。
姿かたちは変わってもこれからもずっと一緒に、僕らがそっちに行くまで少し寂しい思いをさせるかもだから待たせることを先に謝っておくことにします。
16年間の幸せをありがとう。
僕はこれからも大切なナノを自慢し続けるんだろうと思います。

―――――――ピコの話――――――――

令和2年5月4日
愛猫ピコが17年の生涯を閉じました。
先月お姉さんのナノも亡くなりましたが、後を追うような感じでした。
ちなみにナノの日記は【16年】ピコの日記は『17年』になっているのはお誕生日が4月22日なのでピコは亡くなった時点では17歳ということです。

ピコの体調不良が見つかったのもナノと同じ健康診断の時で、その時は『肝臓付近に腫瘍ができているかもしれない』という感じで精密検査に移行する段階でした。
実はこの2年くらい前からピコはダイエットをしていて、ややスマートになってきて運動能力も飛躍的に回復しており、僕としてはダイエットが成功していたのかと、これでもっと長生きできるかな?と少しづつ痩せていることを嬉しく思っていました。
しかし検査結果は悪性の腫瘍、人間でいえば肝臓がんで肺にもごく僅かながら転移の疑いもある状態で、さらに悪いことに腫瘍の出来ている位置が心臓につながる太い血管にかかっていて手術で完全に除去することはほぼ不可能という診断でした。
また抗がん剤治療についても猫に関しては効果が出る望みは薄く、むしろ体の負担が大きいだけになる可能性もあるということ・・・「なんで?あんなに健康になってたのに、今まで病気一つしたことも無かったのに。」まだその時点では無邪気に僕らの顔を見上げるピコを見て、ただ打ちひしがれていました。
検査結果から1週間程度でピコの食欲は目に見えて落ちていきましたが、まだ固形物を食べることも水を飲むこともできました。
でもその時期はナノがもう危ない時期で、もしかしたらナノの世話で大変な奥様の為に無理して強がってくれていたのかもしれません。
それを実感するのはナノを看取ってすぐでした。
一度落ちた食欲は加速度的に落ちていき、流動食などムース状の食べ物や、ちゅーるのハイカロリー版など、食べやすいサプリ系の物しか受け付けません。
免疫力を上げると謳っている猫用サプリなんかもあげてみましたが、味が気に入らないのか尚一層食べません。
現実論としてその状態のピコの命は栄養素云々よりも量の絶対値で繋ぐほか無く、少しでも気に入るもの、好きなものを少しづつでも食べさせていました。
幸いなことに痛がる様子もなく、肺に転移しているといってもそちらはまだ呼吸器系に影響が出るほどの物でもなく、あくまで見た目の印象ですが、ただ痩せていくだけ・・・だからこそ確実にその日が近づいていることを僕らは実感せざるを得ませんでした。
ピコは3兄妹の末っ子で、最初に拾った時にはほとんど動かず、体重も80gしかありませんでした。
ちなみに生後すぐの子猫の体重は約100gといわれているので生後2日目で本来もう少し成長していなければならないところで80gということはかなり危険な状態といえます。
ただ生来のおおらかな性格なのか見た目にもあまりストレスを感じる様子も無く順調に成長し、名前の由来の通り最初が最も小さかったせいかついつい甘やかしてしまい・・・気が付けば立派なぽっちゃりさんになっていました(笑)
まぁ体は太めですが健康診断で異常値が出たことは一度もなく、むしろ一番健康的に見えました。
人間が大好きで、自分から人に触るのが好きで、日向ぼっこが好きで、自分の事を見つめてくれないと不満になり、3匹の中で一番柔らかい体と毛質はただ触っているだけで癒されました。
また自分が可愛いことを分かっていたのか、写真を撮る時も物怖じせず自分から良い表情を見せてくれて、動物病院でも看護師さんが声を揃えて「可愛い・・・」と目を丸くするくらいの、僕にとっても自慢の娘でした。
いつもすぐそばに寄ってきて、お風呂上りにストレッチをしているとすぐ脇で寝転がって、僕の髪を毛繕いしてくれて、ちゃんと目線を合わせて「ありがとうね、ピコは可愛いね。」といえばますます額をスリスリしてきて、漫画を読みながら片手間で撫でたりしていると少し爪を出して目線を誘ったり不満な鳴き声を出したり・・・じっと見上げることにくたびれればウトウトし始めて・・・ただ可愛いだけではなく本当に表情が豊かで、それなのに粗相をしたこともなく、壁で爪とぎをするようなことも無く、人を噛んだり引っかいたりすることも一度たりとも無い、ナノもそうでしたが本当に手のかからない良い子でした。
でもいつのころからか、ミリはピコに対して喧嘩を仕掛けないようになっていました。
年齢を重ねて落ち着いたのかもしれませんが、僕たちよりもずっと早く何かを察していたのかもしれません。
一日をほとんど寝て過ごしているのも高齢の猫ならそれが普通だと思っていましたし、一番好きな時間である僕のお風呂上がりのストレッチの際、ストレッチマットを出す時にはいつもの場所に先に陣取り、今か今かとウズウズした表情も見せてくれていました。
毎日、毎日、お風呂上りに僕のところに突っ込んで来るのは、やがて僕の一日の締め括りになり、泊りの出張明けなどはいつに増して激しいスリスリ&ゴロゴロがずっと続いていました。
その時の僕はとても幸せだったので、いつもピコに訪ねていました「ピコは幸せかい?」
ある程度言葉を判別できるピコは「可愛いね、良い子だね。」という言葉を喜び、明らかに通常よりも大きく喉を鳴らします。
でも幸せかどうかを尋ねると、喉の鳴りはすこし音が下がり、少しキョトンとした顔で僕を見上げます。
それはただ好きなことをいつも通りにしているだけなのに「なぜそんなことを聞くのか?・・・いいからもっと撫でてよ。」と言ってるようにも見え、やっぱり僕はピコの頭やお腹といった優しいフワフワを撫でまわすのです。
いつも通りの事がこれからもいつも通り続いていく、何の根拠も保証もないはずなのに、極端なことを言えばピコの命が僕より短いことは分かっていたはずなのに、フワフワの時間はこれからもずっと続いていくと・・・そう思わせてくれたこともピコが僕にくれた沢山の幸せの一つでした。
固形物は全く食べられなくなり、水もほとんど飲まないピコの体はどんどん痩せ細っていきました。
食欲を増進させる薬などもありましたが、食べるという行為自体が苦しいのならそれはよりピコを苦しめることにならないかと、その頃にはもうピコは点滴にも耐えられるような状況ではなくなっていたので、その時の僕ら夫婦の気持ちは『とにかく苦しい思いだけはさせたくない』ということで一致していました。
時々水を飲もうとして水飲み場に行く以外起き上がることさえないのに、いつものストレッチマットには出す前から待っている・・・そんな僕とピコの時間は亡くなる前日まで続きました。
ナノとピコは最後の時間の過ごし方もかなり違っていて、ナノはしきりに部屋の中を歩き回ってはじっと見つめ、また歩いては違うところをじっと見つめていましたが、それはまるで自分が過ごした場所を忘れたくないように見えました。
しかしピコの場合はほとんど動かず、一番好きなところにだけ全力を振り絞って自力で歩いていきました。
猫は人目につかないところで死ぬっていわれますが、あれは今まで自分の思い出の場所を探し回って自分に大切な所から順番に見ていて比較的どうでもいいところ(人があまり気にしていないところ)あるいは普段落ち着いていた場所を最後に探してそこで結局死んでしまうんじゃないだろうか・・・
そして最後の日、いつもの様にお風呂上りにストレッチマットを出してもピコは歩いてきません。
その時期になると僕も奥さんもある程度の覚悟はしていましたし、ナノの経験もあるので準備自体はスムーズだった・・・ような気がします。
お気に入りのベッドのままでペットシーツを下に敷いて、大好きだったストレッチマットの上にピコを移動させました。
ピコの意識はかなり混濁しているようですが時々意識が戻り、ナノの時と同様に僕と奥さんをじっと見つめます。
僕と奥さんはピコの好きな言葉をかけ続け、意識の有る無しに関わらず、ピコと出会った時の事、今までの事、嬉しかったこと、楽しかったこと、そしてピコのおかげで幸せだったことを話しかけました。
困ったことや辛かったこと、大変だったことは・・・ありませんでした。
意識がなくなり、そして戻ってを繰り返し、少しづつその間隔が開いていき、何度か呼吸も止まるんですが、1分くらいで戻ってくるピコはまるで自分が死ぬことを否定するような、
意識はもう完全に無いはずなのに生きようとしているような力強さを感じました。
呼吸が止まるというのはきっとすごく苦しいはずです、しかし意識が無いなら苦しいという事も感じないはずで、今際の際に意識が無くなるのは最後の瞬間を苦しさで終わらないような体のシステムなのかもしれない・・・だったらなおさら無意識でも生きようとしているピコの体を擦ってあげるしかできない苦しさはありましたが、たとえ意識が無くてもその目に入る光景は大好きな相手であるべきと、僕も奥さんもピコの目線の正面にいるようにしていました。
やがて、ピコの呼吸が戻ることはなく、最期は穏やかな表情で17年の生涯を閉じました。
力が抜けてしまった体をもう一度抱っこして、膝に乗せて頭を撫でました。
ピコは少し強めに頭や顔を撫でられるのが大好きだったので、その時を思い出すように撫で回しました。
ピコはいつもフワフワで、柔らかいお餅みたいに脱力していて・・・なんて柔らかい猫だろうといつも笑っていたのですが、この日の柔らかさはただ力が抜けているだけの、もうこの体に命が無いことを感じてただ涙だけが止まらず、ずっと撫で続けていました・・・
うちの猫は本当によくできた猫だと思うのが、ピコの命日は5月4日未明でした。
5月の連休中は毎年面談相談などは少なく、祝日ですので聴聞会や意見の聴取といった出張も無く、それ以外の業務での出張も比較的少ないのと、ちょうどコロナの影響で外出自粛の時期でもあって家にいる時間も長く、最期を看取ることもできましたし翌日の葬儀もスムーズにできました。
ピコの体に保冷剤を置き、葬儀の準備を進めていく時、この子たちを育てようと思った時に奥さんから言われた「この子たちは私たちより長くは生きられないけど、最後はお別れするのはきっと悲しいけど、猫の寿命が人間よりも短いのは悲しいとか寂しいとかっていう気持ちは人間の方が味わうだけで済むようにするためだよ(笑)」という言葉を思い出しました。
ピコは幸せだったかな?
ピコ自身の答えはもう聞けませんが、きっと幸せだったと思います。
きっと世界で一番幸せな猫だったと思います。
そして僕も同じくらい幸せにしてもらっていたと思います。
火葬に行く途中でも何度も箱を開けて撫でました。
もしかしたらうっかり目を覚ますんじゃないか?そう思えるくらいピコの表情は安らかで・・・いつも通りだったから。
でも固くなった体を撫でる度に柔らかくて暖かいフワフワはもういない、視線を外すと不満を漏らす姫はもういない、いつも通りの幸せがなくなってしまったことを実感します。
ただ、つくづく色々分かってる、本当に手のかからない子たちでした。
ナノの時は亡くなってから葬儀まで半日も無かったので慌ただしかったのですが、ピコに関しては1日あったので祭壇に飾る写真を用意しました。
そして遺骨は出窓のナノの隣に並べ、包んでいる布も二匹のイメージカラーに変更し、その前には仲良く写ってる写真を飾りました・・・ピコとナノはよく一緒にいたので、もしかしたらナノが寂しいと思ってこの時期を選んでくれたのかもしれません。
大切なピコ、そしてナノ、17年間、おうちの中を照らしてくれてありがとう。
まだ今は思い出すことで悲しくなりますが、いつか思い出すことで楽しくなれた時、ナノとピコに「もう大丈夫だよ。」といえるような気がします。
そのためにも、僕は最高の猫たちを今後も自慢し続けるのです。

――――――――――そしてミリの話―――――――――

出会った当時、3匹はペンキ箱のような箱の中に居ました。
おそらく誰かがその箱に入れたのでしょう。

前日に見かけた母猫はペンキの臭いのせいか子猫に気付きません。

ほとんど動いていない妹2匹の為に必死で助けを呼んでいたのが長男のミリでした。

初めて動物病院に連れて行ったときのことを後日看護婦さんと話したことがあったんですが、看護婦さんも正直駄目かも、経験が残酷な現実と可能性を自分に分からせてしまうことも悲しかったらしいが、全員生き残る可能性はほとんど無いと思ってしまったそうだ・・・。

そもそも生まれてすぐに放置されてるような子猫の生存率は非常に低いらしい。

でも僕はその日、たまたまケガで練習できないときで仕事が終わったらすぐに帰ってきていた。
たまたま泣き声が聞こえた。
子猫そのものに見覚えがあった。
翌日(結局早朝に行った)病院に行くまで自力で生き抜いてくれた。
たくさんの奇跡が連なって3匹とも元気になってくれたのだ。

名前を付けるとき、
初めて会ったときの、とにかく小さい印象から
【小ささ】を表す単位の名前を付けた
1番大きかった子は『ミリ』
真ん中の子は『ナノ』
鳴くことも動くことも出来なかった子は『ピコ』

多少の体調不良はあったもののすくすくと成長した3匹は性格も明確に分かれ、ナノは奥さんに、ピコは僕にべったりになっている横で、ミリは少し距離を置き、ナノがいないときに奥さんに甘えてくる程度でした。

それも積極的にスリスリしてくる感じではなく、なんとなく・・・というか、少し息抜きのような雰囲気でしたし、ナノやピコにいつも場所を譲っているような感じさえありました。
といっても他の2匹からいじめられているような力関係があるわけでもなく、付かず離れず、人間との距離感を保っているように見えました。

やがてナノとピコが相次いで他界した後、ミリの性格は一変します。

落ち込んでいる奥さんにいつも寄り添うように、常に密着して生活するようになりました。
・・・僕との距離感は相変わらずですが1週間に一回くらいは膝に乗ってくれましたよ。

今までナノとピコに譲っていたけどもう我慢しなくていいと思ったのか、あるいは僕らに対してナノとピコがやっていたことを代わりにやろうとしていたのか、ミリの本音はわかりません。

ですが、ナノとピコがいない空白を埋めてくれたのも間違いなくミリの行動でした。

それから約3年、あと1か月で20歳になるころ・・・1mくらいの高さならひとっ飛びなのは相変わらずですが、時々何もないところで躓くような動きをしたり・・・特に運動量は目に見えて減っていました。
健康診断でも内臓の機能低下などはあったものの明確な疾患があるわけでもなく、いつか来ることは分かっていましたがそれまで明確に意識することのできなかった『老衰』でした。

猫の20歳は人間なら96歳に相当するのだとか・・・人間でも十分な高齢者だといえますが、それでもしばらくの間は特に老化している様子もなく毛艶も良く、御飯もよく食べ、はた目には健康的に見えましたが、やがて食が細くなり、カリカリもあまり食べなくなり、好きだったおやつも食べなくなっていきました。

そこからは坂道を転げ落ちるように元気がなくなり、健康重視、高齢猫用、嗜好品、いろんなフードやおやつを試してみたものの食べません・・・

ただ苦しんでいるような様子は全くなく、相変わらず奥さんに甘えて喉を鳴らし、食べないことと動かないこと、そして明確に痩せていく以外は今まで通りでした。

僕はナノの時もピコの時も、そしてミリの時もあまり延命措置というのはしませんでした。
それを猫たちを大切にしていないと断じる人もいるかもしれませんが、若くて治る病気ならいろんな手を尽くします。
しかしピコもナノも基本的には年齢からくる疾患で発見時には既に治る見込みはありませんでした。
もちろんそれ自体飼い主の落ち度だと言われれば否定するつもりもありませんが、僕は先の見えない希望は利子を付けた絶望の準備でしかなく、人間よりもずっと小さい体に人間も痛いような針を刺されて、怖いところ(病院)に連れていかれることを拒めない・・・僕はこれは治療ではなく無間地獄だと思います。

それを諦めだという人もいますが、僕は世界で一番愛していた猫たちだからこそ、最後は心穏やかに、嫌なことが無い状態で眠って欲しかったからで、3匹に共通しているのは最期の時、何度か呼吸が苦しくなっているような場面はあったものの静かに息を引き取りました。

僕は長生きさせることが飼い主の義務ではなく、幸せにすることが義務だと思っています。
長く一緒に居たい飼い主の感情で猫の苦しい時間を長引かせることが猫にとって幸せかは・・・難しいです。
大好きな飼い主と一緒に居られる時間を長くするのも正解でしょうし・・・これはペットとの別れを経験すれば誰しも考えることで答えも出ませんが、僕は最期だからこそ嫌なことは何もしないように送ってあげたいと思いました。

そして何も食べなくなったミリは水もほとんど飲まなくなり、ずっと座っているか寝転んでいるかになりましたが、それでもトイレは自力で歩いていきます。

ですが絶食から約10日後、その後水も飲まなくなってさらに3日、その時期になると眼は開いてるものの意識が断続的になっているようで、時々気が付いたように奥さんの顔を目で追います。

僕らもその時が近いことを感じて寝るのは交代制にしてどちらかがミリのそばにいるように、そして生まれた時に妹を助けるために頑張ってたこと、甘えたいのに妹に遠慮してたこと、その後たくさん甘えてくれたこと・・・いつも一緒にいてくれたことのお礼を話しかけ、たくさん褒めました。

ミリは無反応だったり、こちらを見たり、尻尾で返事してくれましたが、やがて静かに呼吸を止めました。
・・・自分のいた場所を何度も眺めて思い出を確かめようとしていたナノと僕や奥さんにくっつこうとしていたピコはどこか生きることへの執着があったような気がしますが、ミリはただありのままを受け容れているような雰囲気がありました。

まるで自分の命の終わりは自分で決めるよと言わんばかりのいつも通りっぷりには感心しましたが、それでも最期に僕と奥さんの顔をじっと見つめてくれたのはミリなりの挨拶だったのかもしれません。

そして
ミリの命日は令和5年3月12日もし他の日だったら僕は高確率で家にいませんでした。
また葬儀の3月14日もちょうど出張も入っておらず夫婦で送ることもできました。

改めてうちの猫たちは最期まで手のかからない子たちだったと思います。
3匹が3匹とも僕が家にいる時まで頑張って、葬儀も一緒に居られる日程を選んでくれました・・・とんでもない確率で出会い、別れの日もとんでもない確率をすり抜けて最高の日を設定してくれました。

お葬式の日は晴れていました。
僕は自他ともに認める雨男で楽しみにしている日ほど降水確率は跳ね上がり、車やバイクの納車日等雨が降らなかったことが1回しかありません。

しかしナノもピコも、そしてミリも、葬儀の日は良い天気でした。
楽しみではない日の降水確率ほど低くなるのか雨で涙がごまかせないのも未熟な飼い主への罰なんでしょうかね?(笑)

葬儀を終えて、
まだ家に帰ると猫がいるような気がします。

これからキャットタワーも処分して、床を走り回れるようにフローリングの上に敷き詰めたコルクボードも外して、噛まれないように電気コードに巻き付けた保護材も外して・・・・猫に関するものは思い出だけになっていきます。

もう床にGERO吐かれることも無い、
新しい服が猫毛だらけになることも無い、
泊りがけの旅行にも行ける、
今まではいろいろ面倒や制約も多かったなと振り返ると共に、その面倒の一つ一つが愛おしくなります。

自分たちは飼い主としてどうだっただろう?
飼い始めの頃は知識も無く、お金も無かったけど、それでも一生懸命だったと言い切れる。

幸せだったかと聞かれれば僕ら夫婦は幸せでした。

猫たちはどうだっただろう?
猫からもらった幸せを返すことができただろうか?

最期の瞬間まで真っすぐ見つめてくれた猫たちはきっと幸せだったんだと、世界一愛された猫だと、僕は勝手に信じてこれからも最高の猫たちを自慢するのです。

ミリ、ナノ、ピコ
20年間、楽しい時間をありがとう。

またいつか逢えますように。

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投稿者: 内村特殊法務事務所

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